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【韓国三大悪女シリーズ3】純愛か権力欲か、運命に翻弄されたチャン・オクチョン

なおほん

なおほん |  2459PV

韓国三大悪女シリーズのとりを飾るのがチャン・オクチュンです。その名に相応しく、彼女に関するドラマは張禧嬪、チャン・ヒビン、チャン・オクチョン-張禧嬪-、主役ではないものの、重要な役どころの仁顕王后、イニョン王妃の男、トンイなどがあります。

これだけドラマになるには理由があります。それはチャン・オクチョンがチャン・ノクスやチョン・ナンジョンとは異なり、妾の子供ではなかったこと、ある程度の教養を身に付けていたこと、そして、紆余曲折を経て後の景宗となる王子李昀を生み、中人という高くはない身分から王妃になったことにあります。
今までの悪女とは違うオクチョンの人生とは、どのようなものだったのでしょうか。

チャン・オクチョン

チャン・オクチョンの生きた時代

オクチョンが寵愛を受けた第19代国王粛宗の時代は朝鮮が建国して以来、最も党争が激しい時期と言われています。特に西人と南人の対立が激しくなり、これが彼女の運命を大きく変えることになりました。

当初、オクチョンは粛宗の曾祖母の女官として宮中に入りました。秀でた美貌を持つ彼女は直ぐに粛宗の寵愛を受けるものの、それを良く思わない西人派などにより宮廷から追われてしまいます。

一方、粛宗の正妻である仁顕王后には長い間子供に恵まれなかったことで、荘烈大王大妃や南人派がオクチョンを再度、後宮に戻します。

その後、粛宗との蜜月を過ごすオクチョンは位が上がり、淑媛から昭儀、嬪、そして後の景宗となる王子李昀を生んだ功労で、側室の最上位となる禧嬪(ヒビン)の称号が与えられます。チャン・オクチョンがチャン・ヒビンと言われるのは、名前ではなく身分の呼称で呼んでいるのです。

チャン・オクチョンの栄光と没落、そして死

オクチョンと南人派の策略で仁顕王后が廃されると、遂に1690年10月オクチョンが王妃となります。これは仁顕王后を立てていた西人派が破れ、オクチョンを立てた南人派が権力る結果を生みました。

けれど、西人派も黙ってはいません。この辺りの西人派と南人派の覇権争いはドラマ「トンイ」や「イニョン王妃の男」でも描かれています。

結果、オクチョンは王妃から嬪に格下げされ、仁顕王后が王妃に復位しました。その7年後に仁顕王后が病没すると、その死の原因はオクチョンに関わっていると告発され、42歳の若さで賜薬により処刑されました。

ドラマによってオクチョンの人物像は2つに分かれています。一方は、権力と子供と王妃の座を守るために、悪事を働き画策し続ける女性を、もう一方では、愛に生き南人派と西人派に利用され続けた悲運の女性です。

解釈がどうであれ、彼女を待っていたのは破滅への道でした。

悪女3人の真実は藪の中

たとえ歴史に記録が残っていても、悪女3人の真実は藪の中

チャン・オクチョンの人物像は朝鮮実録がもとになっていますが、その後の歴史的な流れを見ると彼女にとって不利な内容で記録が残された可能性があるようです。

芥川龍之介の短編「藪の中」は、ある一つの事件に当事者と目撃者の計7人がそれぞれ異なった証言をしたことによって真実が分からない、真相は藪の中という話です。

300年以上前の朝鮮王朝時代、宮廷内の長い覇権争いの中でチャン・ノクス、チョン・ナンジョン、そしてチャン・オクチュンの真実は、力のある派閥の藪に埋もれ、残ったのは斬首、自殺、賜死の結果だけのように思えるのです。

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